大河ドラマ『青天を衝け』建築考証・三浦正幸先生から学ぶ~マチコの知らない【湯殿】の世界~


生活改善 寝室とお風呂(湯殿)について


前回・前々回では主に台所の衛生環境について、どのように移り変わっていったのかを可愛いイラストとともに書き記しました。足のついたまな板など面白かったです。そして、今回はお風呂についてです。


大河ドラマを見ている限りにおいては、不衛生な環境であるとか、あまり映像からは伝わってきません。しかし実際は結核やコレラ菌のせいで、かつての日本では疫病が流行っていました。幕末から明治にかけて、病の原因は細菌だということが分かってきて、生活改善を行っていきました。今はコロナ禍の中で手洗い&うがい&マスクがすっかり定着しましたね。


さて、今日の記事はお風呂(少しだけ寝室)がどんな風に変わっていったのかについて、またまた当時の様子を垣間見れる可愛いイラストとともに、たっぷり触れたいと思います。時間に余裕のある人に是非読んで楽しんでもらいたい内容ですよ♪


  1. 納戸が寝室?


現代では”納戸”といえば”ストックルーム”、もしくは”収納”といいますが、室町時代は”納戸=寝室”でした。江戸時代の庶民の家では寝室は家の裏側にあり、ただの寝る場所だったために窓もありません。エアコンが無かった時代なので、寒さ対策でもあったそうです。


あれ?でも大河ドラマを見ているとお殿様が白い着物を着て、障子の部屋で寝ているシーンも目にしますよね。

再度資料を調べてみたら、書院造の系統の大名屋敷は最初から襖や障子に囲まれていて、開放的だったそうです。なるほど~


庶民の納戸に戻りますね。ちょっと考えると面白いのですが、納戸には押入れが付いていませんでした。では布団はどうしていたのか?


答え:折り曲げて隅に寄せる 以上


そういえば昔の絵などについたて(L字じ折曲がるふすまの半分くらいの高さのもの)がよく出てきますが、こういうものの後ろにお布団が隠してあったのでしょうか?


歌舞伎などを見に行っても、このついたてが良くでてきますよね。そこに隠れたりすることもあります。なかなか面白い道具だと思いませんか?洋風のお宅には似合いませんが、和室などに季節に合わせて、ついたてがあったら素敵です。マチコの家は和風ではないので、ついたては似合いませんが、昔の人の生活を楽しむセンスだったのでしょうか。


ちょうどいい資料を見つけました。ちょうどL字になっています。歌舞伎では、このついたてに着物を掛けたりして着替える様子を表現する場合がありますよね。



さて、話を寝室に戻しますと、前々回の大奥の間取りでも見たように、狭くて換気もできず、結核などの病気の原因にもなったとのことで、明治になると庶民の家でも寝室に窓を付けたり、明るい部屋に改善されたそうです。


そして、明治時代に押入れができたため、布団を押入れに入れるという美徳が生まれたそうです。

今はベッドになってしまったので、押し入れは再びなくなり、ウオークインクローゼットに取って代わられました。生活様式に合わせて建築も変わります。

前にも書きましたが、愛・地球博のとき、イエメンの人達が押入れを二段ベッドとして利用していたのが可笑しかったです。心の中でオイオイとツッコみを入れてました。



  2.ここが変だよ!日本の湯殿


ここからお風呂について。

私がお風呂の話で一番びっくりしたのが、以下の2点です。


① 大名・公家・将軍家はバスタブの中で身体を洗っていた?!欧米のように。

② 日本のお風呂は蒸気風呂からスタートした。



① から順にご説明します。これまでの建築の間取りで、何度か登場している湯殿ですが、床は板張りです。もちろんバスタブなんてしゃれたものはないのですが、これはタライが代用されました。


タライはポータブルですね?」と三浦先生。確かにそーだね。


湯殿にタライを置いて、その中に大名がちょんと座り、上から家臣がお湯をかけたんだそうです。イラストが描けたらいいのですが、絵が得意ではないので、皆さま頭の中で是非想像してニヤニヤして下さいね!


石鹸もその頃はないので、米ぬかを使っていたようです。今でもドラッグストアに行くと、米ぬか石鹸と言って売っていますね。「つるつるにはなるけれど、洗浄能力は果たしてあったのか怪しいですね」と先生。私もその昔興味本位で米ぬか石鹸使ったことがありますが、確かにつるつるにはなったような。。。でもやっぱり洗浄力の方を優先してしまいます。脱線しました。すみません。


タライの中で洗い終わると、家臣が湯かたびら(これが浴衣の原型となった)を肩からかけて、濡れた身体を吸い取らせた→今でいうバスローブのような役割。


でも三浦先生の話を聞いて、とてつもなく可愛いと感じたのが、この湯タライを参勤交代の際もちゃんと持参したというのです。Myタライですかね。参勤交代の列にタライが 笑


もしかしたら長櫃持ちの中だったりして?!

 



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② 蒸気風呂とは?

  今は家のお風呂でも銭湯でも、湯舟になみなみとお湯が張られていて、肩までゆったり浸かって、疲れをほぐしますが、実は昔は全然違う姿だったのです。





図をご覧ください。お風呂の外で人が薪を割っている姿が描かれています。これはどういうことかというと、大きな釜の中にお水が入っていて、その水を薪でもって沸かします。そうするとお湯が沸いて蒸気が出ます。その蒸気をお風呂の中に入れるのです。中がサウナのようになる仕組み。なんと!!


座っているところも寒いといけないので、蒸気を上と下に分けて、座っている床下も温まるように工夫されていました。このサウナの所は”風呂屋形”と呼ばれていました。


この時代お風呂というのは高級品であり、1週間に1回程度しか入れなかったそうです。なので日記に「お風呂に入った」と書くほどの贅沢なイベントでした。


去年の大河ドラマの主人公であった明智光秀も、「坂本城から京都に行った際、吉田兼見のお宅で風呂に入った」と記しているそうです。これって現代の私たちがFBで投稿するようなものではないでしょうか?


それほど嬉しいイベントだったのですね。ほのぼのしてきます。


こちらの図は吉川元春(毛利の大名の別邸)から見つかったお風呂の跡です。かまどが見つかりました。



次の図が全体像です。横から見た図と上から見た図です。蒸気が風呂屋形に入っている仕組みがよく分かると思います。




次から次へと参りますが、下の図を見てください。上から見ると蒸気のお風呂の面積が分かります。蒸気が充満するように小ぶりの風呂屋形になっていますね。とてもよくできていると思いませんか。実際にこの目で見てみたいです。




さらに、ここで最も驚いたことは、今でもこのお風呂が機能しているということです。


なんと!!第3日曜にこのお風呂に入らせてもらえるんですよ!!!


実際に三浦先生も行かれたとのこと。


先生曰く「このネクタイしたまま入ったんですよ~♪」と。ネクタイをピロンと触って、ニヤリ。2度ビックリ!!

服のまま???


こうなったら絶対に行きたいです。かなり山奥とのことなので、真冬は避けた方がいいかもしれません。万徳院のサイトを見つけましたのでこちらに貼っておきますね。広島県に行く際には万徳院マストですね!アフターコロナで是非。

↓ ↓ ↓

広島観光ナビ


私が行きましたら、こちらに再度レポートをアップしますが、私より先に行かれた人は、小川新聞店のマチコまで感想をお知らせ下さい。「ザ・マチコに教えて」係まで宜しくお願いします。


この贅沢品だったお風呂が、銭を払って入れるようになったのが、まさに読んで字のごとく“銭湯”です。


銭湯の中に柘榴口と言って蒸気が外に出ないようにするために、入り口を低くした造りが設えてあり、屈んで中に入るようにしました。その絵がこちらです。↓↓↓




柘榴口の中は下の絵のようになっています。最初は熱いお湯を10㎝ほど入れて、その蒸気で入浴していたのが、時代が下るにつれ、少しづつお湯のラインが上に上がっていって、今の高さになりました。大体首から肩くらいの深さですよね?




この絵ですと、みぞおちより少し上あたり。今より少し浅めのお湯かなと思います。


皆の顔を見ると楽しそうです。一人すごく特徴のある顔をしていて、ちょっと可笑しいです。何か企んでいるのでしょうか・・・いつの世もお風呂では皆幸せそう。不機嫌になろうと思っても無理ですね。ほんと気持ち良さそうです。


お次の絵は洗い場と脱衣所です。2人の男性がどうも喧嘩しているようです。”お風呂では皆ご機嫌”と書いたばかりですが、湯舟を出ると人は変わってしまうのでしょうか。


2人の男性が止めに入っている様子ですね。お風呂で一体何があったんでしょう。しかし喧嘩している男性の一人はどう見ても笑ってますよね。止めに入る人もいます。今も昔も変わらない風景でしょうか。。。滑稽なイラストです。


そういえば、ハタと気づいたのですが、お風呂でシャンプーはどうしていたのでしょう?皆湯舟の中でも外でもしっかり髷を結ったままです。


ちょっと気になりまして、ネットで調べて見たら、お湯がふんだんに使えなかったので、銭湯では洗髪はしなかったようです。江戸中期でも洗髪は1か月に1-2回だった。


すると髷は痒くならなかったのかな。。。レゲエの文化であるドレッドヘアもシャンプ―はできないようで、やはり臭いはするそうです。多分髷も臭いはあったんでしょう。大変だ。


そういえば『青天を衝け』では主人公渋沢栄一がパリでごく自然にサラッと断髪しましたね。武士であり、中身は急には変わっていないはずですが、髷から普通のサラリーマンヘアに変わっただけで、見る目が全く変わったのが自分の中で面白かったです。


これほどのカルチャーショックって日本の歴史であったのでしょうか。


次の絵は銭湯の2階部分です。



こちらはとても愉快な絵ですね。皆楽しそうに談笑しています。お風呂から上がっていっぷくですね。上半身裸で、パイプでタバコを吸っている人がいたり、お茶とお菓子をつまんでいる人もいます。


右の方にはお茶を入れる係りと思わしき男性がお茶をお盆に入れて差し出しています。


今でいう漫画のようにセリフが書かれているのですが、くずし字が読めず、何て言っているのか分からないのが誠に残念です。


マチコの実家近くにも銭湯があり、子供の頃友達と銭湯に行くのがちょっと楽しかったです。


ただ子供心に、番台に座っている人を嫌悪していました(今さらながら、すみません)たまたま銭湯に行った日の番台さんが男性の時はチッ!!今日はアンラッキーだなと内心思っていました。


男湯と女湯両方見れるって変過ぎだ。謎だ。その昔は混浴だったようで信じられませんが、昔は今よりおおらかだったのでしょうか。。。


そういえば思い出しました!むか~し旅館に泊まった際、混浴と知らなくて、入ってしまい、出るに出られなくなった覚えがあります。最悪でした。ゆでだこ状態。今は混浴なんて旅館から姿を消しましたが、何がいいのか今でもサッパリ理解できません。


あ、最後混浴のディスリで終わってしまいました。


今はコロナ禍でサウナもちょっと行きにくいご時世ですが、お風呂の記事を書いているうちにサウナに無性に行きたくなってきたマチコです。


独身時代にハンガリーに旅行に行った際、ものすごく巨大なスパに行きました。エステやマッサージなども完備された総合施設で、建物も古くてカッコよかったです。


台湾に行った時も温泉に行きました。プールみたいに大きなお風呂だったので、ついはしゃいでいたら、台湾のオバサマに「これこれ、ダメよ」(中国語で多分)と嗜まれてしまいました。マチコは第二外国語が中国語でして、ちょっとだけ中国語しゃべれたんですけどね、、、あー。しかし、温泉も行きたい♪


それではまた^^/

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