大河ドラマ【鎌倉殿の13人】建築考証担当・三浦正幸先生に学ぶマチコの知らない厳島神社
毎週超楽しみにしている【鎌倉殿の13人】ですが、木曽義仲が頑張って戦っているのに、まっすぐ過ぎて、大事な息子をまっすぐ人質にしてしまったり、後白河法皇とのやり取りの中でも、見ていて“あーーーー”ドンドン悪いシナリオに向かって行ってる。。。と早くも悲しい気持ちになってきています。
なんかドロドロしてくる予感がします。三谷脚本ドロドロをどうコミカルに描くのか期待しますっ!!
それはさておき、本日は以下のメニューで構成しています。
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① 厳島神社が何故できたの?
② 厳島神社のここがスゴイよ
③ 何故に土木宰相【平清盛】なのか?
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① 厳島神社が何故できたの?
そもそも藤原氏には春日大社、源氏には八幡宮、天皇家は伊勢神宮というように氏神様が必須だったそうです。
平氏にはその氏神様が無かった。そこで平清盛は厳島に厳島神社を作り、前からあった氏神様ですよ!ということにしてしまったんだそうです。
もともとあったのですが、厳島なら京都から遠くてバレないし、分かりっこないもんね!って感じ。
今でこそ京都と広島なんて近いと私たちは思いますが、その当時からしたら「南極に行くような気分と同じくらい遠かった」と三浦先生。
今は厳島という感じが充ててありますが、最初は『伊都岐島大明神』と書いて、“いつきしま”と呼んでいたんだそうです。これは『神を斎き祀る島』という意味で、漢字は当て字。そして“いつきしま”の発音がだんだん変化し、“いつくしま”となったことにより『厳島』という漢字に落ち着いたそうです。
② 厳島神社のここが凄い!
日本最大の神社であること。サイズ感ですが、春日大社の50倍。岩清水八幡宮の4~5倍。大河ドラマ館のある鶴岡八幡宮の3~4倍。伊勢神宮の内宮と外宮を合わせた面積より数倍大きいとまあ、規格外の大きさです。メガ神社!!
お寺の本堂でも10mくらいが相場ですが、厳島神社は平面図でいうと、横が23.696mで奥行は11.514mでした。これは出雲大社の2.5倍です。
玉殿は6つあり、小さい玉殿だと海水で流されてしまうから本殿を大きく頑丈にしたそうです。100年に1回床上浸水するのだそうですが、玉殿は800年間一度も浸水したことが無いそうです。
600年前に玉殿の階段の上から1段目のところまでは海水が上がってきたそうです。
これが一番の特徴ですが、海の上に立っていた!1300年頃の絵図を見ても分かる通り、船に乗った人が描かれています。(※下の絵図参照)
平面図を見て頂くと分かりとおり左右は非対称。右は柱が4本であるのに対し左側は5本。
そしてあけっぴろげ。開放的というか、日本一開放的な神社と三浦先生のご説明。普通は厳重な扉が付いているのにですよ。
高校の修学旅行で厳島神社に行ったのに、記憶の彼方すぎて残念なほど、覚えていません。絶対また行ってみたいです。
③ 何故土木宰相なのか
平清盛は実はもともと川だったところを無理やり曲げて右側へ流れるように川の流れを変える壮大な土木工事をしました。鏡池からは真水が湧き出ます。その理由はもともと川が流れていた場所だから。伏流水は曲げられないので地下から水が出てくるのは自然なことだそうですよ。
この工事300人でも半年、1000人で1か月はかかる大土木工事でした。
清盛のすごいところはその厳島神社を自分のポケットマネーで作ったくせに、「自分が作った!」と一言も言ってないこと!
そしてどこにも書いてない。何故か?!
それは平家が壇ノ浦で滅びた後も鎌倉幕府によって維持され続けたことにあります。
何度か火事で全焼してしまったけれど、その度に鎌倉幕府が建て直しをさせられていました。もし清盛が「日本一の神社をこの私が作ったんだそー!」と公に言っていたら、壇ノ浦後の厳島神社はなくなってしまっていたかもしれません。
頭が良かった清盛はそこまで考えてのことだったと三浦先生の解説でした。
そこが清盛の非常に頭の良かったところだとのこと。なるほど!
自分が死んだあとのことまで考えて、自分の発言に気を配っていたとはさすがは平清盛ですねー。大河ドラマでは前半で死んでしまったので、あまりそのあたりのところは描かれていなくて残念ですが、ま今は主役が北条なので仕方ないかもしれません。
鶴岡八幡宮を見た後でその3~4倍という厳島神社のサイズ感を味わいに是非行ってみたいマチコです。
歴史と建築を一緒に追っかけるのは面白いですよね☆
また次回をお楽しみに♪
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