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三浦正幸先生に学ぶ「日本の城」@中日文化センター          ~マチコの知らない【奇跡の白石城】~


白石城 正保絵地図 伊達家 片倉小十郎

一国一城令と武家諸法度をかいくぐってしまった奇跡の白石城


一枚目の絵図は60枚残っている「正保城絵図」のうちの1枚であり、信頼性の高い資料です。

中日文化センターで頂くプリントは白黒だったため、三浦先生より教えて頂いた方法でカラーに差し替えてアップしています。やはりカラーは見やすいですね!


今日は以下のメニューになります


①【白石城】の城主の激しい入れ替わりについて

② 片倉小十郎ってどんな武将?

③ 何故【白石城】が奇跡の城といわれるのか



白石城の城主

1590年に小田原北条が滅びます。この時小田原攻めに大遅刻した伊達政宗ですが、普通なら改易ものの大失態。運よくギリで改易セーフとなり、会津を没収され、仙台に飛ばされました。


そして会津は蒲生氏郷のものに。しかしまた蒲生家は豊臣の名門だったため再び転封となり、代わりに上杉景勝が入りました。

しかし上杉は反家康だったため米沢に飛ばされ、1600年に伊達政宗が奪取。そのまま伊達領となりました。そして家臣であった片倉小十郎が城を任されたという経緯です。


なんかややこしくないですか?


蒲生氏郷

上杉景勝

伊達政宗

片倉小十郎


そんなあっちにこっちにと飛ばされるとは戦国武将のストレスはいかばかりか。。。それは置いておいて。。。

少し前に苗木城について書きましたが、苗木城の場合は12代にわたって遠山家が治めましたので、それとは正反対というわけですね。



片倉小十郎ってどんな人物?

超有名なこの武将は伊達政宗のお守り役で、秀吉がその能力を買って引き抜こうとしたが、お誘いを断わったという。

脱線しますが、直江兼続も同様に秀吉からのラブコールをはねのけたそうです。


ところが石川数正は主君家康を裏切って秀吉に仕えた。人生いろいろ…


話は片倉小十郎に戻りますが、この小十郎はこれまた家康にも一目置かれていて、江戸に屋敷を与えるからと関ケ原の戦い以降にヘッドハンティングされました。やはりこのにもかかわらず、やはりその誘いも断ったそうです。

なかなかの忠義の武将だったのですね。


しかし秀吉と家康二人から誘われるとはよほどの人物だったと想像できます。



本日の本題:何故白石城が奇跡のお城と言われるのか?


この白石城が冒頭の一国一城令と武家諸法度との二つの決まり事を破っているからなんです。


◆一国一城令によりひとつの国にはお城はひとつと決まっています。

→白石城ふわっとサバイブして廃城を免れています。笑


伊達家は仙台城があったため、それ以外のお城は本来ならば全て壊さなければならなかったのです。まずこの点が特別扱い。



◆皆さまご存じ「武家諸法度」はお城の増改築が禁止されています。

→白石城しれっとやっちゃってます。笑


右上の櫓にご注目下さい!!

櫓が2階建てなのがハッキリと分かりますね。では以下の絵図をご覧ください。


同じく櫓に注目!!

同様に右端に櫓があるのが確認できると思います。こちらはモノクロで見にくいのですが、それでも3階建てになっているのはお分かりいただけるかと思います。


東北地方はここ東海地方より地震が多い地域のようです。

1646年1668年1678年1731年と4回も地震に見舞われ、1819年には焼失1823年に再建という歴史を辿っています。


地震で倒壊し立て直しの際、乾櫓がどさくさで2階建てから3階建に増築されています。これは完全に武家諸法度違反の案件ですね。

しかしこの増築に関しお咎めがなく、またもや片倉家が特別扱いされていたことが伺えます。


ちなみに仙台城も地震で3つの櫓が崩れてしまいましたが、地震後は櫓が再建されることはありませんでした。何故か。幕府の顔色をうかがわなくてはならなかったからだそうです



三浦先生の想像ですが、やはりこの片倉小十郎が前述のように特別扱い枠だったため、白石城も廃城にならなかった可能性があるとのお話でした。マチコ納得!面白いですね~



こちらは復元された白石城ですが、3階建ての櫓で復元されてしまっています。本来ならば正保絵地図に忠実に2階建ての櫓にした方が良かったのにねーーーと三浦先生が小さめの声でつぶやかれていました。色々な事情があるのでしょうか。。


おまけ:仙台城の石垣



この石垣は秀吉の若いころの積み方だそうで、角っこを見ると算木積みにもなっていません。控え(奥行のこと)が短く強度も不足していたとのことです。野面積みで50年ほど時代遅れの技術しかなかった。



おまけ2:湧谷要害

ぐにゃぐにゃの角っこ、逆に見てみたい!

※要害とは廃城になった城または中世の山城のこと


技術はないが、バカ丁寧に作った反り繰り返った石垣。三浦先生曰く「ちょっと気持ちわるい」とのことで、マチコが見ても中心線がぐにゃぐにゃで、お世辞にもスキッと石垣らし



い美が宿っていないと思いました。作った人達スミマセン😢


この反り繰り返りの石垣はもう一つ日本に存在しています。さてどこでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


答えは岩村城でした。こちらは岐阜県。


ただ面白いもの好きな人は是非この反り繰り返った石垣を見に行ってみてはいかがでしょうか?この太鼓堂下の石垣は東日本大震災でも壊れなかったとのことなので、先人たちの努力は無駄にならなかった!などとほっとしました。


この正保城絵図はウエブで検索すれば誰でも見られます。豪華カラーバージョン。国立公文書館デジタルアーカイブで無料で見られますのでご興味のある方は是非チェックしてみて下さい。櫓増築の動かぬ証拠が目撃できます。笑


そして最後に言いたい!やっちまったな小十郎!🤣

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