大河ドラマ『青天を衝け』建築考証・三浦正幸先生から学ぶ~マチコの知らない擬洋風建築~
(※NHK文化センター講師三浦正幸先生ご許可)
勘違いから生まれた明治時代の洋風建築の面白み
みなさま、こんにちは。好奇心のかたまり小川新聞店のマチコです。今日も今日とて楽しかった三浦先生の講座の中から特に面白かった部分をピックアップして記事にしたいと思います。①は皆さまご存じ第一国立銀行の写真ですが、こちらについても後述致します。何故赤い矢印が3か所付いているのかも説明いたしますね☆ 今回取り上げるのは”可愛い勘違い”の建築の数々についてです。
1.床の間
江戸時代に庶民には許されていなかった床の間。明治になり身分制度が廃止され『床の間解禁』となった途端、大流行、こぞって床の間をせっせと作ってしまった。人間の心理として当然といえば当然なのかなと思いますが、この流れは昭和40年代まで続きました。図②で赤字で〇を付けたところが全て床の間です。数えてみると6カ所も!!
便宜上カタカナでトコと書いてあるので、トコトコ…トコトコ...ちょっとツボってしまいました。現在は明治村にあるそうですので、いつか明治村に行ったら実際に床の間を数えてみたいです。1トコ2トコ3トコ…なんていう感じで
そして、前述しましたが、マチコの古い実家にも床の間と違い棚がありました。床の間には、たいてい掛け軸が掛けてあったものですよね。そういえば、思い出しましたよ!平岡円四郎の家のお座敷にも床の間があり、その掛け軸の後ろに、円四郎から妻のやすへ宛てた心温まるっていうか温まり過ぎて泣いてしまうような手紙が隠されていましたね。決して遺書ではなかったところもまた一層泣けました。
話がそれましたが、床の間に戻りまして、庶民は解禁となった床の間を“やーっ”と自分の家に造ったのかな。と想像するととっても可愛くていじらしいです。 現代の私たちだって、人それぞれにあこがれる世界があって、その世界に自分も入りたいと思って生きてます。その気持ちがあるからこそ、人は頑張るものですよね。タワマンに住みたいとか外車を乗り回したいとか、海外に別荘を持ちたいとか、、、、マチコの憧れの世界ではないですよ。
2・暖炉
床の間に引き続き、連鎖的にまた別の勘違い発生。洋館を建てるときに解禁となった床の間が頭に焼き付きすぎていて、新たに暖炉が量産されてしまったのです。
それは『床の間=暖炉』 日本人の床の間が西洋人の暖炉と同じ位置づけだと勘違い! よって日本の家の座敷にある床の間と同じ感覚で、洋館のありとあらゆる部屋にジャンジャン暖炉を造りに造ったのだそうです。 図③は明治42年と43年にかけて建てられた松本健太郎氏の邸宅です。日本館と洋館で成り立っています。こちらにも赤い〇印をつけましたが、洋館に暖炉が7つあります。(よーく資料を見ると設計:辰野金吾と書いてあります。驚き!!先日【新美の巨人】で日本銀行を設計したこの辰野金吾の特集を見たばかりでした。地下には大きな金庫があったのですが、それがレンガで作られていて、レンガに大注目したらイギリス式でした!)
しかし、これには三浦先生も苦笑い。やたらと立派に作り過ぎてしまった暖炉などもあります。ちょっと二階建てみたいな暖炉とか。図⑤参照
ヨーロッパの宮殿にも暖炉がないところもあるそうなのに。。。 やりすぎちゃったぜ日本建築。
調べてみますとウエディングの写真がいっぱい出てきました。今は結婚式場として使われているようですね。確かにこんな素敵な洋館でウエディングができたら盛り上がりますよね☆
3.階段
次に驚いたのが階段の扱いです。 日本の階段は裏方で、押入れの中に隠してあったそうです。今からは想像できません。 一方ヨーロッパでは階段はまさに「見せ場」だった。
そういえば子供のころ「風と共に去りぬ」などを見たとき、美しい立派な階段を見てうっとりしていたことを思い出しました。豪華なドレスを着たヴィヴィアン・リーが手すりに手を掛けながらゆったりと下りてくるシーンなどに目が釘付けになったものです。
日本でもヨーロッパに倣って写真のように美しい曲線の階段が作られたということです。 この写真の手すりは、程よくきれいに曲線を描いていますが、これは木を曲げたのではなくて、このような形に切り出して作ったものだそうで、この日本人の技術には目を見張るものがあるそうです。是非明治時代の洋館を訪ねる機会がありましたら、木で作った階段の手すりに是非注目してください。 三浦先生も是非と講座でおっしゃっていました!
4.アーチ
次に面白かったのがアーチの扱いです。 西洋建築でよく見るアーチは何のためかご存じの人が多いかと思いますが、それはレンガが崩れないようにするための手法です。日本ではレンガは使用していなかったため、本来不要だったのです。 が、しかし、唯一日本建築の中で、アーチが施されていた場所があるんです。 さて、そこはどこでしょうか?
答えは茶室。土壁がアーチになっていたのです。 ただしそこは給仕口と呼ばれ、食事を出す人が通るところで、つまり身分が一番低い人が通るところだったのです。ちょっと笑ってしまいますね。 ところ変われば。。。
5.ベランダ
どんどん行きますよ。続きましてのベランダ。(※写真①と写真⑥の左上を参照)
ベランダっていうと日本人からするとなんかオシャレ―な感じがしますよね。でもベランダなんてイギリス本国にはなかったんですよと。これはヨーロッパ人が作った植民地(インドやインドネシアのような暑いところ)の建物スタイルだったんです。これ。ちょっと悲しすぎませんか?私はこれについてはかなりがっかりというか残念な気持ちになってしまいました。コロニアルスタイルというものです。確かに言われてみれば、イギリスの建物でこんなベランダ見たことないし。。。
そしてまさに”やっちまったな”と言えるのが『第一国立銀行』渋沢栄一が33歳でこの第一国立銀行の総監役となるわけですが、これがとんでもない建築!とのこと。写真①の矢印に注目してください。
順番に説明しますと、
①お城の天守閣と同じつくり
②植民地スタイルでベランダ付き
③極めつけ。3階に車寄せのポーチ
どうでしょう。キョーレツ過ぎませんか?
日本最古の銀行『第一国立銀行』は擬洋風の代表例とされています。(※百五銀行というのは105番目に作った第一国立銀行のことだそうです。清水組が作り、それが清水建築となり現在は業界トップの会社になりました。)
大河ドラマでは今渋沢栄一はパリにいます。彼もヨーロッパ建築をパリでたくさん見たようです。 ドラマを見ていても、まさに栄一と同じ気分になり、進んだヨーロッパの文明に驚く気持ちを一緒に味わっています。建物だけでなく世の中の仕組みまで全く違っていて、どんどん栄一が覚醒していくように思います。ますます大河ドラマから目が離せませんね。では最後まで読んで頂きありがとうございました。また次のブログもお楽しみに♪
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